家庭画報 表紙 6年間ありがとうございました。
✳︎ ✳︎ 画像がたくさんあって重いです。✳︎ ✳︎
2015年からお声がけいただいて6年間、世界文化社「家庭画報」の表紙の花を隔月で担当させていただきました。
花の仕事を始めた時から漠然と「いつか家庭画報に出られたらいいなぁ」と思ってはおりましたが、まさか自分が表紙を担当させていただけるとは想像にも及びませんでしたし、何よりも隔月とはいえ6年も続いていたことはとてもありがたく、誇りに思っております。
私の花人生の中でも大きな軌跡となりました。
過去の表紙を思い出とともに記録的に残しておきます。
2015年4月号〜2016年2月号
最初の撮影は緊張して前の晩は眠れませんでした。
そして、このころは、初めてづくしだったので勢いがありますね。
撮影のたびに2〜3個分のアレンジを用意して撮影していました。
それぞれ違う花材だったので、結構な花の量を運んでいました。
搬入搬出だけでも相当体力が必要でしたね。
そして、どれか一つだけが選ばれる。
ボツになったアレンジでも大好きなものもたくさんありましたがこればかりはもうお一人の方とのバランスもあって難しかったようです。
そして、撮影のたびにカメラマンさんとぶつかっていました。笑
2016年4月〜2017年3月
まだまだ、パワーがありますね。
2年間偶数月を担当して、2017年から奇数月の担当に変わりました。
2017年は700号を記念していた年でもあって、毎回700号記念号の丸いシールみたいなものを掲載しなければならず、それがどこに来るのか毎回ドキドキしていました。
700号記念年が終わったと思ったら、よく年2018年は世界文化社60周年記念の年になり、60thのシールみたいなものが毎回つくことになります。泣
6月号の700号記念号では、過去に一度ボツになったアレンジのアイディアを再び採用するということになりました。
下からライトを当てて花びらを浮き立たせる手法です。
でも、本当はこの方法にはラナンキュラスなどの薄い花びらが一番合うんですけれどね。
3月号の60周年記念号も忘れられない撮影でした。
そこそこの大きさのブーケを30個くらい作りました。
これ、切り貼りではなくて、全て実際に大きな白いスペースにブーケを置いて、スタジオの吹き抜けのずっと上から撮影しているんです。
今、こんな手法で撮影するカメラマンさんはいないと思います。
まあ、これも良い経験でした。
2017年5月号〜2018年3月号
2018年7月号から担当編集者が変わり、女性になりました。
また毎回プレミアムライト版というひと周り小さくて軽いタイプが出るようになり、とりあえず毎回2カット撮影して、両方がそれぞれに選ばれることもあり、やはり一つはボツになったりしていました。
家庭画報ファンというお客様から「9月号から急に女っぽくなった」とご指摘を受けた通り、編集者2名それぞれ女性でしたし、ここから女性のスタイリストさんがつくようになりました。
そこまでは、自分で器や小物も用意していたのですが、それがなくなって、なんとなく器ありきの撮影になっていったような気がします。
スタイリストさんがつくと花瓶などをご用意してくださるので、パリ特集の時は思い切って全てAstier de Villatteで揃えていただきました。
ただ、花をどのように活けていくのか、当日まで??のままでした。
時間もなくて、思いつきでパンジーたちを全て小さなブーケにして仕上げたのは、我ながらあっぱれだったと思います。
2017年5月号は大好きなアレンジ。
11月号の菊とダリアの配色も気に入っています。
2018年5月号〜2019年2月号
2019年からまた偶数月になりました。
そして、5月号から撮影は外部の大御所カメラマンさんに変わりました。
それまでは世界文化社の中のカメラマンさんでしたので、世界文化社で撮影していたのですが、ここから青山スタジオへ変更です。
なんとなく自分がぎゅっと硬くなっていっている感じがします。
前の号での撮影と被らないようにすることが基本になってきて、今見ると花が少し窮屈な感じですね。
2019年4月〜2020年4月
自分が作ったアレンジと掲載されいてる写真になんとなく違和感がありました。
今はデジタルでなんでも加工が可能なので、カメラマンさんが多少色味を変化したり、影をつけたり消したり。
さらに写真を反転させて使ったりと。
最初のころの、いつもカメラマンさんとぶつかりあっていたアナログな時代を懐かしく感じていた頃です。
最後の掲載となった4月号は1年前に撮影を終了していたものです。
前撮りといって花の撮影は1年前撮影というのも多くあります。
これはAstier de Villatteの器だったので、ものすごく楽しくアレンジできたのを覚えています。
そして、私が卒業したのち、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、家庭画報では表紙の撮影もしないことになっていたそうで、過去のアレンジを再掲載して使うことになったようです。
時々、見たことある画像が表紙になっていましたね。
今でこそ、インターネットでの媒体や発信が主流になりましたが、私が独立した当時はそうしたツールはなく、雑誌という媒体に掲載していただくことが何よりもの励みであり宣伝であったかと思います。
宣伝費などはもちろん出せない状況で、たまたまお声がけしていただいた雑誌の仕事をいかに次に繋げるかというのが、私の中での最大の使命であり最大のやりがいでもありました。
「花時間」「25ans wedding」「Lee」「éclat」などの雑誌撮影では、ページごと、テーマごとにアレンジや花材に変化をつけていかねばならず、たくさん勉強させていただいて、嬉しいことや楽しいこともたくさんあったけど、悔しい思いもたくさんしました。
帰りの車の中で涙したことは数え切れないかもしれません。
また媒体によっては当時は掲載するだけでありがたいと思え的なムードがあり、ギャランティの交渉なんてとんでもない、花材費をいただくこともうまく交渉できませんでした。
もちろん、きちんとお支払いしてくださるところも多かったのですが、ウエディング関係の雑誌では一切の支払いはありませんでした。
その様々な思いや経験ののちの「家庭画報」の表紙でしたので、たった一人、腕一本でここまできたのかという思いすら湧き上がってきたものです。
他の方から見たらなんでもないようなことでも、私にとっては神様からのご褒美だと思えました。
頑張ろうと思うがあまり、空回りしていた時もあったと思いますが、撮影に対しては全身全霊で臨んできたつもりです。
表紙というくくりのある中で、なかなか思ったことはできない環境ではありましたが、違う業界の方と一つのものを作り上げる作業は刺激的でした。
そして、この6年間は一つの時代の境目だったような気がします。
この貴重な体験を踏まえて、これから先、私はまた新しい世界へ突入したいと思っています。
家庭画報の皆様お世話になりました。
また、私が表紙なったことをきっかけに定期購読してくださった多くのお客様、本当にありがとうございました。
家庭画報のますますのご発展をお祈りして、私の花人生の中での家庭画報は幕を降ろすことにします。
コメントを残す